最近の僕の事

myself
こんにちは、Dan-cho a.k.a Yoshio Satoこと僕です。
「PURE IBIZAの歴史記事」、「PURE IBIZA ver.100お疲れ様でした記事」と、イベント、パーティー告知ブログだけにほぼ利用していた当ブログ「D’s Diary」でなんとまたまた雑記を書くことになりました!

「予想外にPVがあったり読んでくれる人が多くて味をしめちゃったの?」
ってツッコまれると、あながち間違いでもないのでアレですが今回は、これまでとは全く違ったテーマの記事です。

そんなテーマですが
「最近の僕の事」
についてです。

自分大好きマンかよ!って感じがして正直こんなテーマでブログを書くことなんて一生ないだろうと思っていましたが、困ったことに自分語りは嫌いじゃない(むしろ好き)方なので一旦、今の自分の考え方とか行動理念についてログに残しておこうと思います。

▪︎事のきっかけ

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次に、そもそも、なんで急にブログで自分語りをしようと思ったのかを説明したいと思います。

事のきっかけは、つい最近、古くからの友人にこんなことをツッこまれました。

「お前、最近Twitterのつぶやきが異様に増えてるけど大丈夫か?」

自分でも最近のTwitterをする頻度は多いと自覚はしているし、かと言って別に何が悪いわけ?って思っているのでこの質問に対する回答を先日、Twitterでこうつぶやきました。

我ながらとてもシンプルな回答だと思います。
勝った!自分語りブログ完!(ジョジョ3部完!のノリで)

と、これだけなら良いんですがここからが問題で、上記の友人の他複数名、同じようなことを僕に提言してきた友人がいました。

詳しくは後述しますが、
僕は今、転職も決まり、PURE IBIZA ver.100も無事終了し、減量もいい感じに成功してきているし、新生活に向けて夢と希望に溢れて毎日が楽しい、いわゆる広義での「リア充状態」だと思っています。
が、ハタから見たら何らかの精神疾患、精神異常(躁病的な)を起こしているのでは?と心配してくれる友人、知り合いが少なくとも2人以上はいるようなので、それをしっかり当記事で弁解&感謝しなければな、と考えています。

▪︎オープンソースな思考への変化

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最近の僕の考え方の変化として、
「なるべく自分の考えは外に発信していくように心がけよう。それに対して人にどう思われようがその人の自由」
というのがあります。
これを僕は「オープンソース思考法」と自分の中だけで銘打っています。

オープンソースとは、人間が理解しやすいプログラミング言語で書かれたコンピュータプログラムであるソースコードを広く一般に公開し、誰でも自由に扱ってよいとする考え方。 また、そのような考えに基づいて公開されたソフトウェアのこと。(IT用語辞典 e-Wordsより抜粋)

大層な名前をつけてドヤ顔していますが、SNSがこれだけ発達している時代で、自撮りやら楽曲やら動画アップやら、自分の情報発信なんて誰でもやっとるやろ!って話ですよね。しかし僕の場合は自分の思考もあまり隠す事なくアップロードしていこう、というのが今の心境です。

その思考発信手段の一つとしてTwitterがあります。

Twitterをやり始めたのは2009年ぐらいに友達に勧められたのがきっかけでした。
最初はあまり使い方や使う意義が見出せず、登録して放置していたのですがフォロワーの方が増えていくに従ってだんだんとTwitter特有の楽しさを理解するようになり、そこから毎日のように何かしらつぶやくようになり、2016年現在、僕の総ツイート数は26万ツイートまで増えました。

この時点で一般的な常識で考えたら精神異常の領域に片足突っ込んでそうなのですがw
僕個人としては普通に楽しんでやっているつもりです。

ですが、最近はこのTwitterの使い方もちょっと変わってきました。

さっきは


こんな事を言いましたが、もう一つの理由をここから説明します。

これまでは「Twitterなんかパフォーマンスだから真に受けんな。」的な考え方で、Twitterで発信する内容は、時折イベント告知やマジレスを挟みつつも「セッ○ス」「レ○プ」「貴様を○す」「ドラゴン起床」など、訳のわからないツイートをしてセルフブランディング(?)をしていました。

Twitterでは自分のふざけた部分だけが発信できれば良くて、マジレスや仕事っぽいことはFacebook、個人的なやりとりに関してはLINE、みたいな感じで使い分ければいいやって思っていました。(Facebookはほぼ活用していませんがw)
極論を言ってしまうと「Twitterごときでマジレスするのはダサい!」なんて事を考えていました。正直、今でも多少はそう思っていますが。

が、この半年間ぐらい転職活動をしてきて自分の思っている事を嫌でも他人に発信しなければいけない機会に多々晒されてきたのでそこで少しずつ考え方に変化がありました。

それは、Twitterなどのデジタルなツールにおいても自分の考え方を曲解されないようにストレートに発信していくのは悪いことじゃないんじゃないの?って事であり、これまで以上にツイートの中にマジレスや意識高い系()ツイートが増えました。
それは自分でもそう思います。
まぁ、僕ももう30歳ですからいつまでもTwitterでウ○コ、チ○コばっか言っててもしゃーないんじゃないかなってww
かといって、意識高い系()を目指す気もさらさらない訳ですが。

そうやって自分の考えを一般公開していく事でフォロワーに自分の考えを知ってもらいたくもあるし、知ってもらわなくてもいい。ポジティブに捉えてもらえてもいい、ネガティブに捉えていただいても構わない。好きになってくれたら嬉しいけど、嫌いになってミュートやリムーブ、ブロックをしていただいても構わない。
人の考えなんて十人十色なので、自分の正解が他人の正解とは限らないと思っているし、ましてや自分の考えを他人に押し付けようと思わないし、他人の考えを押し付けられるつもりもない。
でも、自分なりの考えに基づくことはドンドンアウトプットしていきたい。
(この辺りがオープンソース思考法と無理矢理命名した由来かと思います。)

そう考えた時、手っ取り早く発信できるのがたまたまTwitterだった。
そんな気分で最近はツイートしています。

身内だけに共有していたような自分の情報は、基本的には一緒にクラブや居酒屋とかで飲める距離感にある人達ぐらいにしか話していませんでした。
しかし、Twitterだけでしか繋がっていないフォロワーの方や物理的にフェイストゥフェイスで顔を合わせられない遠方の地の人には直接は伝えられない訳だから、そう考えるとTwitterでのマジレスの割合を増やしても良いのかな、って今は思っています。

▪︎心配される理由を自分なりに考えてみた

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なんだか記事の方向性がIT寄りっぽい事になってきたので主旨に戻します。

そんな、Twitterでウ○コ、チ○コ、セッ○ス、レ○プ、貴様を○す、ドラゴン起床といった訳のわからないツイートばかりしていた輩がある日突然、政治やら経済やら真面目な恋バナやら、時には酔っ払った勢いでのバイオレンスな内容を長文でツイートし始めたら、確かにフォロワー目線に立てば「コイツ、何かあったのか?大丈夫か?」って僕でも思いますw
それがフォロワー、というより友達や知り合いに心配される原因なんだろうなって僕なりに出した結論です。

冒頭、
「お前、最近Twitterのつぶやきが異様に増えてるけど大丈夫か?」
といった古くからの友人はさらにこう言いました。

「俺みたいに昔からお前のことを知っている人間は、別にお前が意識高い系ツイートをしようが、ブッ殺してやる系ツイートをしようが、本質的には全く問題ないと思っているけど、最近できた友達やそこまで深くない知り合いからしてみたら、お前の気が狂ったんじゃないかと何かと不安になったり心配するのはわかるよな?
で、なぜかその人達の心配がお前のとこじゃなくて俺のところに相談しに来たりするから困ってるんだよ。だから俺も表ではお前を心配している風を装わなきゃならないってワケ。
お前の事に対して興味がない人なんてのは心配すらしてくれない訳だから、お前の事を心配してくれる人っていうのはそれだけ優しくてお前の事を思ってくれている貴重な存在なんだよ。
だから、せめて猟奇的なツイートをした後ぐらいは、こんなことを言っていますが僕は元気です!ぐらいの弁解ツイートをして安心させてやれよな。」

言われた時は酔っ払っていたので「チッうっせーな、そんな事言われんでもわかっとるわ!」って反抗期の子供のように思いましたが一晩寝て冷静に考えると本当にその通りだな、って思ったので、そういう貴重な人達に向けて当記事を書こうと思った訳です。

行動や発言が極端なので周りの比較的近い距離感にある人達を不安にさせたり、心配させる、こういうのを心理学用語で・・・なんていうのかはわかりませんがw
僕には多分、そういう周りの友人や知り合いを、そんな心配性なお母さん的な思考にさせる性質が備わっているんじゃないかと思います。
自分では割とフラットなつもりではあるんですが(苦笑)

僕自身は今の自分が絶好調だと思っているのに対して、近い友人からは心配される。
大前提に自分のことをそんなに思っていてくれて、本当に感謝!という気持ちがある反面、多少僕は「うっとおしいなぁ、今イイ感じなんだからちょっと放っておいてくれよ」みたいな最低な感情が生まれてしまうのも事実です。

僕にはまだファンキーモンキーベ○ビーズの歌詞に出てくるような「親に感謝、友達に感謝、誰々に感謝」みたいなストレートな他人の愛情を受け止めきれる度量が備わっていないと思うし、何より筋金入りの天邪鬼な為、他人の好意をどこか曲解して捉えてしまうクセがあります。

こういう思考に至ってしまった経緯は、昔、信じてた人に裏切られたことがあったのが一つ。(今考えると大した裏切りではないのですが)
調子の良い事を言って近づいてきたにも関わらず、僕にとって大切な局面に差し迫った途端に急に無関心になる。
「この偽善者野郎が!!」ってなってブチギレた時の出来事を、今でも昨日の事のように思い出せます。

もう一つは昔読んだライアーゲームという漫画に出てきたセリフ。

いや、人は疑うべきだよ。
多くの人は誤解しているけど、人を疑うこととは、つまりその人間を知ろうとする行為なんだ。

『信じる』その行為は紛れもなく高尚な事だ。
しかしね、多くの人間が『信じる』の名の下にやっている行為は実は、他人を知る事の放棄。
それは決して『信じる』ではなく無関心。無関心こそ疑うよりはるかに忌々しい行為である事に多くの人間は気づいていない。

完璧な思考停止。究極の無関心状態だ。
疑う事は悪じゃない。本当の「悪」は、他人に無関心になることなんだ。

これらのセリフがビックリするぐらい自分の中で腑に落ちたことが僕の天邪鬼な部分に拍車をかけたんだと思いますw

話を戻しますが、僕は「自分に今、こういう事が起きてこう思った!」という事を言いたいだけなんですが、それが他の人から見たら不安の種をばら撒いてる行為であるという点に、自分から見た自分と、他人から見た自分の乖離というのを重く感じています。
簡単に解決出来る問題だとは思わないし下手したら解決できないかもしれませんね。
人を100%理解することなんて不可能だと思いますし。

ただ、ここ最近の僕の発言は確かに身近な人を不安にさせる要素をはらんだものだったかもしれないのでその点についてはお詫び申し上げます。
しかしながら申し訳有りませんが、自分の言いたいことを言っていく、この基本姿勢は今後も変えるつもりは今の所ありません。
明日には気が変わっているかもしれませんがw

▪︎まとめ

いろいろ長々と書いてきましたが、普段の僕のTwitterのツイート数をまとめた方がより長くなっちゃいそうなので一応、当面の自分の考え方の指標として当記事を書かせていただきました。
Twitterでつぶやいていることも自分の本心から出た内容であることは間違いないのですが、サービスの特性上、その時、その瞬間に感じた事を書く事が多いと思うので100%本質ってワケでもないのかなとも思います。衝動的なものとでも言いますか。

ちなみにTwitterであれだけいろいろとつぶやいていますが、これは絶対に人様に見せられない、といったクリティカルな個人情報については一切書いていません。
これぐらいはさらけ出しても問題ない、というものが自分の中で昔より増えただけの事です。
だから酔っ払った勢いで間違えて免許証の詳細をアップロードしちゃったり、会社の顧客情報を流出させたり、なんてことも絶対ありませんのでその点に関してはご心配なさらず!w

最後にこれだけ言わせて欲しいのですが、いろいろと最近の僕のことを心配して気をかけてくれている友人や知り合いの皆様、本当にありがとうございます。僕は東京に一人で上京してきてからこれまでに多くの人たちによって身を支えられてきたと心から思っています。
その人たちがいなければ僕はここに立っていられないとも思います。

確かにこれまでと違って意味深なツイートが増えたりもしていますがここまでに書いてきたように自分なりに考えて変わった部分、変わらない部分が同居しているのが今の僕だと思うので、急な変化に戸惑われるかもしれませんが、ご心配なさらずこれまで同様、よろしくお願い致します。

では、そんな感じで当記事をしめさせていただきます。
ここまで個人的な自分語り記事を読んでいただいた方も本当にありがとうございました。